DJになるまでに胃がキリキリした話:ギャラ編
「集客」という胃に穴のあくようなテーマに続き、今回はさらに下世話で、しかし誰もが気になって夜も眠れないであろうテーマ「DJのギャラ事情」について書いてみたい。
世間一般からすれば「好きな曲をかけて、酒を飲んで、何時間か騒いでるだけでお金がもらえるなんて最高の商売じゃん」と思われがちだ。しかし、その甘い幻想の裏には、通貨価値の崩壊した過酷な下積み時代と、夜の世界特有のガバガバな金銭感覚との戦いがあった。
私にとっての「初めてのギャラらしきもの」といえば、オープン前に受付で渡される「ドリンクチケット2枚」であった。
腕がちぎれそうになりながら何十キロもの重いレコードバッグを運び、フロアで神経をすり減らしてプレイし、さらに泥臭くお客さんを呼んだ対価が、ウーロンハイ2杯分のドリンクチケット。世間一般的にはどういう解釈をされるのか分からないが、今現在もそういうDJは相当数いるのではないかと思う。ただ、若手であった当時の私には「ギャラをもらう」という概念そのものが存在しなかったため、不満など1ミリもなかった。むしろ「まだ金を貰えるだけの実力も価値もない」と本気で自覚していた。ドリチケもらえるだけでありがたいとすら思っていたのだ。

そんな私が、身内のパーティー以外から初めて「現金」という本物のギャラをいただいた現場は、意外にもナイトクラブではなく「結婚式の二次会」であった。
場所は渋谷のセルリアンタワー。当時、西麻布にあった『XROSS』というお店のラウンジフロアでDJをしていた際、私の選曲を気に入って声をかけてくれたクラバーの方からのご依頼だった。
ラウンジという場所柄、ソウルや緩めの70s〜80sといったメロウな選曲を流していたのだが、それが新郎新婦の好みにドンピシャだったらしい。二次会でも終始そうした甘く心地よいムードの選曲を求められていたのだが、打ち合わせで「10分間だけダンスタイムを作ってほしい」というオーダーがあった。
そこでリクエストされたOutkastの「The Way You Move」をドロップした瞬間、フォーマルな衣装を着た参加者たちが一斉に弾け飛び、とてつもない盛り上がりを見せた。自分の選曲が人の一生の晴れ舞台を彩り、そこに対価が発生するという経験は、プロ意識という面において私にとって大きな財産となった。
「ナイトクラブで初めていただいたギャラ」の記憶は、渋谷・円山町にあったクラブ『VUENOS TOKYO』だと思う。先輩であるDJ Naoya君に誘っていただいたダンスイベントだった。当時は「VUENOSのブースに立てる」ということ自体が若手にとってステータスだった時代である。出番を終え、朝方の片付けをしていると、Naoya君から「オープンから長い時間DJやってくれたよな。これ、今日のギャラね」と、サラリと5,000円札を手渡されたのだ。
VUENOSのブースに立てるだけで相当嬉しかった私にとって、その5,000円は額面以上の輝きを放っていた。「これがプロとしての第一歩か……記念に使わず取っておこうか」と一瞬本気で考えたが、翌日、渋谷のマンハッタンレコード、ホームベースレコード、そしてCISCOをハシゴし、手に入れた5,000円は数時間後には綺麗さっぱり消滅、秒で口座残高ごとマイナスへと突入したのをよく覚えている。

では、VUENOSで最初の5,000円を手にして以降、毎回きっちりギャラが貰えるDJへトントン拍子にステップアップできたかというと現実はそんなに甘くない。相変わらずノルマを課されるイベントは山ほどあったし、先輩やオーガナイザーから「お前に金を払うほどの対価はないよ。まだまだ下手くそなんだから」と、面と向かって現実を叩きつけられる夜も日常茶飯事だった。
だが、血気盛んな若手だったにもかかわらず、当時の自分をひとつだけ褒めてやりたい点がある。それは、「自分の実力を極めて冷徹に客観視できていたこと」だ(少なくとも、できていたつもりである)。
耳にタコができるほど繰り返すが、「お金を払うだけの価値があるプレイかどうか」を決めるのは、ブースに立つ自分ではなく、財布を開くオーガナイザーやお客さんだ。現場で「本当に上手い」と称賛されている一流DJたちのプレイを聴けば、自分との間にある絶望的なスキルの差など一目瞭然だった。「このレベルまでフロアを作れなければ、プロとしてお金を貰えるわけがない」ということだけは、痛いほどハッキリと自覚していたのである。
となれば、やるべきことはシンプル。そこに向けて死ぬ気で練習するしかない。
しかし、ここにもう一つの大きなジレンマが立ちはだかる。前回のコラムでも触れた通り、クラブDJという生き物は「目の前でリアルに人が踊っているフロア」で場数を踏むことで上達していく。自宅でどれだけ華麗なミックスを練習しようが、現場の空気感やフロアの表情を読む力は身につかない。そんな風に考える中で私の中では以下のような超現実的な方程式が完成していた。
・プレイが上達しなければ、まともなギャラは貰えない。
・ガラガラのフロアで回していても、技術や感覚が伸びるスピードは遅すぎる。
・パンパンに人が入っている現場で数多くプレイすることこそが、上達への最短ルート。
・だが、キャリアの浅い当時の自分に、毎週末そんな現場に呼んでもらえるほどの声はかからない。
それなら、自分で作っちゃえばいい。
このモードに脳のスイッチが切り替わった瞬間から、私の戦略はガラリと変わった。「とにかく誘われた現場に手当たり次第に出まくる」という安売りをやめ、「このパーティーは本気でイケてる」と心から思える現場だけを厳選して出演するようになったのだ。名前を売らなければいけない若手にとっては少し危うい戦略であったが、同世代の上手なDJ達に追い付くにはこれしかなかった。勿論、イケてると思うパーティは、お客さんが入っているパーティだけではなかった。人が入っていないイケてるパーティには「とにかく人を呼びましょう!人が入らなきゃ続けられないし、先輩たちのカッコよさが伝わらないです。」と必死にプレゼンし、そして何より、自分が主催するイベントでは死に物狂いでお客さんをパンパンに集めた。目的は単に客を入れて目立つことではない。すべては、最高潮に仕上がった超満員のフロアでメインタイムをプレイし、DJとして圧倒的なスピードで上達するためだった。
リスクを背負って自力で人が入るパーティを作り出し、毎回そのど真ん中でメインタイムを回し続ける。そうすると、そのパーティーの噂を聞きつけて遊びに来てくれた他イベントのオーガナイザーや関係者の目に、極めて効果的な形で自分の姿が焼き付くのだ。
もちろん、肝心のプレイが伴っていなければ、「あいつは集客だけの男だ」という不名誉な陰口を叩かれて終わりだ。それだけは避けたくて、現場に立つ以上は必死に練習を積んだ。客を呼べたところで、フロアを沸かせるプレイができなければ何の意味もない。集客はあくまで、上達するための舞台を自分で用意する手段に過ぎず、最後にものを言うのは結局プレイそのものなのだと、当時の私は痛いほど思い知っていた。
「あいつ、パンパンに客を入れた上で、毎回ちゃんとフロアをロックしてるのか……。そりゃあ、うちの現場に呼ぶならギャラ掛かるだろうな。」
そう思わせることこそが、私の真の狙いであり、セルフブランディングの核心だった。
「ギャラをください」と頭を下げてお願いするのではない。「この男をブースに立たせるには、きちんとお金を払うのが筋だ」と周囲に自然と納得させるだけの既成事実を、実力に裏打ちされた現場の盛り上がりで作り出す。
客寄せパンダと陰口を叩かれようが、そのパンダが誰よりもフロアを沸かせ、結果として「対価を払うべきプロ」としてのポジションをもぎ取る。25歳までに稼げるDJになるための私のチキンレースは、こうした計算と泥臭い執念の積み重ねによって、ようやく「しっかりとお金をいただけるプロの領域」へと実を結んでいったのである。
もちろん、今の時代と私たちの頃とでは、クラブシーンの空気感も、SNSの存在も、音楽の届き方もまったく違う。「ギャラを貰えるようになるには、まず満員のフロアを自力で作り上げて既成事実を作れ」などと押し付けるつもりは毛頭ない。今の若手を見渡せば、スマートなブランディングでスイスイ道を切り拓いている優秀な人達もたくさんいる。正直、羨ましい。私の若手時代にSNSがあったら、レコードバッグ担いで走り回る代わりにもっと要領よくやれた気もするし、逆に調子に乗って全部台無しにしていた可能性も否めない。
ただ、もし今、出口の見えない下積みの中で「どうすればプロとして対価を貰えるようになるのか」と胃を痛めている若手DJがいるのだとしたら、ひとつだけ心に留めておいてほしいことがある。
「自分の価値は、他人に値付けされるのをただ待つのではなく、自ら環境を作り出すことで引き上げることもできる」
これは、どこにでもいるちょっとヒップホップとDJが好きな男が、ナイトクラブの世界で生き残るために選んだ一例に過ぎない。それでも、フロアを沸かせて周囲を納得させるという本質だけは、時代が変わってもそう大きくは変わらないはずだ。たぶん。