私がDJになるまで⑤
さて、私より先にDJを始めていた同期のタメだが、めきめき腕を上げているにもかかわらず、中々クラブでDJが出来るようにならなかった。当時はハコの数自体が今よりもずっと少なかったので、現場の敷居は高かったのだ。「もうクラブでDJやれないなら、辞めようかな」というセリフを聞いたころ、サッカー部の友達のモッチーが「俺の友達、イベントやってるよ、DJ探してるって言ってたよ」と言い出した。タメはテンションが上がりまくって、仲間たちみんなでそのイベントへ突撃してみようということになった。そのイベントが開催されていた聖地こそが、「新宿izm」というクラブだった。
タメはその新宿izmのイベントへの出演が決まると、それまで自室で培ってきた練習の成果を、いかんなく発揮した。その実力は本物で、彼はあっという間にイベントの「メインDJ」の座へと登り詰めてしまったのである。我々大学の仲の良かった男女10数名は、彼の晴れ舞台を拝むためにしょっちゅうそのイベントへ遊びに行った。その後もタメは様々なイベントに引っ張りだこになり、佇まいから何から、すっかりプロの「DJ」としてのオーラを纏うようになっていった。

↑新宿izmはここにありました。今の新宿カサブランカの前身のお店です。
さて、その頃の私である。相変わらず「自分の好きな曲だけを詰め込んだミックステープを作りたい」という目的のためにレコードを買い漁っていたわけだが、タメや同世代のガチのDJたちと間近で繋がったことにより、私の脳内にまたしても余計な思考が発生し始めていた。
「俺も、ちょこっとだけ本物のクラブでDJ、してみたいかも……」
しかし、現実は非情である。周囲から見れば、私は「タメの友達のシュンスケっていう、なんかレコードは無駄に買ってるけど、現場では一歩も動かないただの一般人」というカーストに位置していた。そんな戦闘力5の男に、当然ながら現場からのオファーなど来るはずがなかった。まあ、私自身も「声をかけてくれ!」と周囲に物乞いするほどのガッツはなく、大学の身内だけで開催する身内のための内輪パーティーで、お遊戯程度にちょっとレコードを回させてもらえれば十分満足、という謙虚(ヘタレ)な姿勢を崩さずにいた。
それでも、毎日自宅でレコードをいじり続けていたおかげで、私のスキルも少しずつではあるが確実に向上していた。そしてついに、長年の夢であった「自作ミックステープ」を物理的に錬金することに成功したのである。せっかく20万円もの国家予算を叩いて作った最強のテープだ。いや、レコード代も含めればその時点ですでに100万円近くは投資していただろう。そんなに投資して好きな曲を詰め込んだミックステープを誰かに聴いてほしくてたまらない!という気持ちになってしまった。私は承認欲求の化身となり、大学の友人や、タメのイベントで知り合ったクラバーたちに「これ、良かったら聴いて(自己満足)」と、まるで新興宗教のチラシのように配り歩いた。
だが、この「自己満足のバラまき」が、私の人生のハンドルを完全にぶっ壊す、驚天動地のオファーを引き寄せることになる。「ヨウヘイ」という、タメが出演しているイベントの早い時間をプレイしていた、音楽や人に対して実に真摯な後輩がいた。そのヨウヘイが、ある日突然、私に向かってこう言ったのである。
「しゅんすけさん、ミックス聴きました。僕が立ち上げるイベントで、DJしませんか?」
耳を疑った。埼玉のいなかっぺ大将であり、ただの自己満足テープを配る貧乏学生にまさかの本物の現場からのスカウトである。これには腰が抜けるほど驚いたが、気がつけばモラトリアムな学生生活も終わりに近づいていた。「まあ、人生の『卒業記念』として、一回くらい本物のクラブで回してみるのも悪くないか」そんな、お見合いに臨むバツイチのような軽い気持ちで、私はそのイベントへの出演を承諾した。
そして当日、私が足を踏み入れたそのイベントには、文字通り足の踏み場もないほどの大勢の客がすし詰めになっていた。場所は「渋谷ism」道玄坂に位置する中箱くらいのお店だった。それまで自宅の部屋で、誰に見せるでもなく夜な夜なシコシコと狂ったように練習を重ねてきたのだ。技術的な引き出しだけは無駄にパンパンだったため、本番ではそれなりに満足のいくプレイを実にいい時間帯で披露することができた。

↑渋谷ismがあったのは多分ここだと思う。
しかし、事件はその最中に起きた。
私がターンテーブルに針を落とし、重低音を響かせるたびに、フロアを埋め尽くしたあの大勢の見ず知らずの大人たちが、私の手の動きひとつで、楽しそうに、狂ったように踊り狂っているのだ。あの日、中学3年の合唱コンクールで「学校中の女子が俺の背中を見ている」と錯覚した、あの邪念の全能感。あの時の脳汁が、100倍の濃度になって鼓膜から直接脳髄へと逆流してきた。
……もう、恐ろしいほどの快感であった。
麻薬を取り締まる法律はあっても、ターンテーブルから放出されるこの合法的な劇薬を取り締まる法律は、我が国には存在しない。私はあの日、指揮台の上で知ってしまった「音楽で人を動かす」という業の深い快感の、本当の沼の底へと、ついに帰ってきたのである。
次回、最終回。
