私がDJになるまで①
このHPには好きな事を書いていくので、私DJ SHUNSUKEがDJになるまでを振り返ってみようと思う。
ライターをさせてもらっているレペゼンでもこのようなインタビューをしてもらったが、せっかくお金を掛けてHPを開設したのだ。誰も興味はないかもしれないが、自分がどういう過程を経てDJになったのかをのらりくらりと振り返ってみたい。
まず、DJになる前に、音楽の出会いから話していくことになる。自らの音楽的ルーツを遡るということは、我が家の『初代ミュージックディレクター』であった両親のセンスと対峙することを意味する。
私の両親は、大阪の英会話教室で出会ったと言う話を遠い昔に聞いた。父は新聞記者をしていたが、英文などを読むこともあり、英語の勉強を日常的にしていた。そして、母はホームティーチャー的な英語講師をしていたこともあり、洋楽が日常にあった。そう表現すれば何となくカッコイイのだが、実際は子供の情緒や「戦隊ものの歌が聴きたい」という人道的なリクエストなど一切忖度しない、ディストピア的音楽環境の中で私は育ったと言える。
今でこそ周囲は「恵まれた英才教育」とマダムのような言葉で称賛してくれるが、当時は別に自分で選んだわけでもない苦行のBGMを浴び続けていただけだ。そもそも英才教育とは常に、受けている本人が「拉致監禁」に近い状態のまま気づかないうちに完了しているものである。その洗脳教育の過程で、幼い私の脳天を直撃したのが、車のカセットデッキから流れてきたCheryl Lynnの「Got to Be Real」であった。あのディスコのグルーヴは、理屈も語彙もない幼児の私に「これだ」という確信だけを残した。理由を説明できない感動というのは、たいてい本物か、あるいはただの脳のバグである。他にもDARYL HALL & JOHN OATES「I Can’t Go for That (No Can Do)」ビートルズの「Hello, Goodbye」なども合法的にキメられ続けた。「Hello, Goodbye」に至っては、40を過ぎた今も不意に禁断症状のように聴きたくなる。刷り込みとは実におそろしい。
しかし、そんな割とお洒落な英才教育を脳髄まで浴びておきながら、自分の意志で初めて買ったCDは、完全なるJ-POPのど真ん中(直球ストレート)であった。大事マンブラザーズバンド、とんねるず、B’z、CHAGE and ASKA。彼らは凄いアーティストだとは思うのだが、もっと英語に興味を持ってほしいと願った両親の英才教育の成果がとしては期待はずれだったであろう。ただ、振り返れば、ジャンルの垣根なく音楽を浴びせてもらえる家に育ったのは、間違いなく幸運だったと、いま枕を高くして思う。


「表現者」としての初キャリアは、小学4年まで習ったピアノだ。決して裕福な家庭ではなかったが、なぜかピアノが家に鎮座しており、「粗大ゴミにするにはデカすぎるから習え」という完全に受動的な理由で教室に送り込まれた。モチベーションはマイナスからのスタートだったが、不思議なもので、パッヘルベルの「カノン」はそれなりに形になり、「猫ふんじゃった」に至っては、先生が恐怖で目を見張るほどの神速で指が動くようになった。完全に目的を見失った高速化である。しかし、私のピアノへの音楽的情熱はそこで完全に燃え尽きた。「猫ふんじゃった」のBPMを極めること以外にピアノに情熱を捧げられるほど、当時の私は一つのことに特化できる求道者ではなかったのだ。その後、ピアノとの関係は自然消滅した。
転機は中学3年、合唱コンクールである。持ち前の目立ちたがり屋な性格が最悪の形で炸裂した結果、クラスの命運を握る「指揮者」に任命された。自ら挙手したのか、クラスの陰謀で押し込まれたのかは記憶の彼方だが、どちらにせよ私の邪悪な自意識が引き寄せた事態であることは間違いない。その邪悪な自意識とは「モテたい」という気持ちである。思春期ど真ん中、私の脳内の9割は「どうすれば女子にカッコよく見られるか(※残り1割はエロ)」で占められていた。合唱コンクールという、合法的に全校生徒の注目(特に女子からの熱視線)を一身に浴び、あわよくばクラスのヒーローとして歴史に名を残せるかもしれない一大イベント。そんな清々しいほど不純な動機を両手に抱えて、私はステージに立った。課題曲は「大地讃頌」。合唱コンクール界のスーパービッグチューンだ。
合唱の指揮は、オーケストラのように指揮棒を握らない。剥き出しの両手だけで、空間の空気を操るのだ。自分は一切音を出さないくせに、偉そうに手を動かすだけで場の空気を決定的に左右する。振る人間のテンションと確信が、そのままクラス全員の声に乗り移るシステム。当時の私はそんな高尚な理屈など知る由もなかったが、とにかく「今、学校中の女子全員が俺の背中を見ている。」という強烈な勘違いと、謎の全能感を持って、ただ必死に、しかし堂々と両手を振り続けた。
不純な動機というのは、時に原油並みの優秀なエネルギーとなる。結果として、私の邪念がこもった両手は、学校1位・市内大会進出という、とんでもなく出来すぎた成功体験を叩き出してしまった。大勢の音を自分の手でひとつにまとめ、空間を支配する。あの歪んだ快感は、中3の私の胸に静かに、しかし確実に刻まれた。不純な動機で始めたことが本物の手応えに変わる瞬間というのは、時に人間を狂わせる。自らは音を出さずとも、その手の動きで空気を操り、空間全体をロックする。あの日、指揮台の上で「音楽で人を動かす(※主に女子を意識しながら)」という快感を知ってしまったことが、現在の私の原点になっているのかもしれない。
つづく…
