私がDJになるまで③
当時の彼女に「音楽の趣味が合わない」と言い切られてからも聞いていたヒップホップ。しかし、その音楽に触れ始めてからも、すんなりDJというものに行きついた訳ではなかった。部活という名の強制労働からようやく解放された後も、シャバのトレンドは相変わらずバンド一色。そんな中、「神速の猫ふんじゃった」以外の音楽的スキルを持たない私を、あえて神輿に担ごうとする、狂気とも言えるオファーが舞い込んだのである。
「お前、ボーカルやれよ」
楽器が弾けない人間をとりあえずフロントに立たせておけという、あまりにも乱暴な人選である。しかし、ここで「食わず嫌いは良くない」と無駄な柔軟性を発揮してしまったのが運の尽きであった。参加したそのバンドは、あろうことか「ガールズバンドの曲を男がアレンジしてカッコよくキメる」という、文字面にすると大変スタイリッシュだが、実態はただの事故になりかねないコンセプトを掲げていたのだ。結果、私がマイクを握らされて熱唱する羽目になったのは、プリンセスプリンセスの「ダイアモンド」「世界で一番暑い夏」と「M」であった。中3の時に「オールアイズオンミー」を気取っていた男が、部活を引退した瞬間に「いつも一緒にいたかった」と激重な失恋ソングをシャウトしているのである。これは精神的に中々のハードモードであった。しかし、私自身、歌うのも踊るのも割と好きであったため、「もしかして俺、このままプリプリを歌い継ぐボーカリストとして余生を過ごしていくのかな」などと、うっすら思い始めていた。



そんな迷走中の私の前に、再びあのシティボーイ・あっちゃんが、新たな劇薬を携えて現れたのである。「これ、聞いてみ」と、無造作に差し出された1本のカセットテープ。訳も分からず再生ボタンを押してみると、そこには私の知る「曲が終わったら次の曲が始まる」という音楽の常識が存在しなかった。曲と曲がノンストップで、まるで生き物のように絡み合いながら次っと変化していく。そう、それが「ミックステープ」との遭遇であった。収録されていたのは日本語ラップが中心だったが、いわゆるメジャーな有名どころはほとんど入っておらず、正直なところ、当時の私には「繋がっていること」以外の凄さはよく分からなかった。しかし、その「音が途切れない」というだけの事実に、私の脳は普通にもの凄く感動してしまったのだ。この瞬間、私の体に「DJ」というこの先の人生を大きく狂わせる二文字が、強烈な関心事として刻み込まれた。
そして、私の運命をさらに狂わせるもう一人の男が登場する。中学の同級生「カズ君」だ。カズ君は私と同じタイプの「ひたすら部活に人生を捧げてきた脳筋系」で、とにかく運動神経がバグっている男だった。野球の超名門校というわけではなかったが、公立高校でエースで四番を張るという、絵に描いたようなヒーローであった。見た目は完全に「夜道で会ったら財布を差し出すレベル」の強面なのだが、中身は驚くほど優しい男で、私は彼と小学生のころから非常に仲が良かった。そのカズ君と部活を引退した高3の夏休み、バーミヤンの店内でドリンクバーをすすっていると、突然、本当に唐突にこんな問いを投げかけられたのだ。
「お前、ノートリアス・ビッグって知ってる?」

そう、ヒップホップの歴史に巨大すぎる足跡を残した伝説のスーパースター、「Notorious B.I.G.(ビギー)」のことである。カズ君は、ビギーが既にこの世を去り伝説と化していること、そしてその原因が、2Pacというもう一人の巨頭との東西抗争の果てに命を落としたというあまりにも血生臭いドラマを鼻息荒く私に語り尽くした。さらにカズ君は、おもむろに持参していたカバンからCDウォークマンを取り出し、あの名曲「Juicy」を私に聴かせてくれたのだ。この「Juicy」が私のアメリカ人のラップソング童貞を奪っていった曲である。バーミヤンのドリンクバーの喧騒の中、イヤホンの向こうから流れるビギーの重低音。ひと通り語り終え、興奮で鼻の穴を膨ませたカズ君は、私に向かって、すべての元凶となる恐ろしい提案をしてきたのである。
「なぁ、クラブへ行ってみようぜ」
クラブと言えば、雑誌BoomやGet on!、Cool Trance、ASAYANの一部コーナーで観た事があったくらいで、部活に命を懸けていた我々には程遠い世界かと思っていた。当然、それまで行ったこともなかったし、行く機会もなかった。しかし、カズ君は独自の調査で、Notorious B.I.G.はクラブにいくと聴ける、という事を突き止めていた。今しがた聞いたビギーに引き込まれた私は「行こうぜ!」と即答した。
そして、忘れもしない8月の最終土曜日、今でこそ時効ということで法務省には見逃していただきたいのだが、我々は高校生ながらクラブという名の未知のセクターへ潜入した。今高校生がクラブへ潜入するのは至難の業だろうが、当時は厳密な身分証チェックなど存在せず、ガバガバなセキュリティーのおかげで割とすんなり入場できてしまったのである。しかし、入れたはいいものの、我々はただの「埼玉のいなかっぺ大将」だ。一歩足を踏み入れた瞬間、爆音と、慣れない酒の匂いと、踊り狂う大人たちの群れに圧倒され、完全に気配を消さざるを得なかった。結局、我々にできたことと言えば、フロアの隅の、最も照明の当たらない壁際をキープし、怯えた小動物のように端っこでウロウロしながら一晩を過ごすることだけだった。クラブの中では、CDで聞いたビギーやNas、2Pacなどの重低音が鳴り響き、大人の男女が大変な盛り上がりを見せていたのはなんとなく覚えている。パンパンのフロアの中「なんだか俺たち、今もの凄くカッコいい遊びをしているのではないか」という微弱な達成感はあったものの、つい先日まで早朝から夜まで部活をしていた健康優良児(子供)である。深夜2時を過ぎたあたりから、カルチャーへの感動よりも「殺人的な睡魔」が容赦なく襲いかかってきた。最後はカッコよさもクソもなく、ただただ眠くて仕方がなかった。
こうして、ほろ苦さと強烈な眠気を残して初めてのクラブ体験は幕を閉じた。しかし、これだけヒップホップと夜の洗礼を浴びておきながら、その当時はまだ、自分がターンテーブルの前に立ち、DJを本当にやってみようなどとは夢にも思っていなかったのである。
もうすこしつづく
