胃カメラの話
人生の折り返し地点が見え始める頃、同世代の会話のトピックは目に見えて変化する。20代の頃のように「どこのクラブが熱いか」とか「どのスニーカーが格好いいか」といった色気のある話は影を潜め、気がつけば「最近、健康診断どうしてる?」という極めて現実的で、かつ切実な情報交換がメインストリームに躍り出る。
私自身、特別に大病を患った経験はない。家系を振り返ってみても、記憶の中でハッキリしていることと言えば、かつておじいちゃんが超ヘビースモーカーかつ大酒飲みで、最終的に肺がんで亡くなったということくらいだ。それでも、35歳を過ぎたあたりから「若さという名の無敵モード」が完全に終了したことを自覚し、胃カメラを含む各種検査は毎年しっかりと受けるようにしている。自分を過信せず、メンテナンスは怠らない。それが大人のマナーだと自分に言い聞かせている。
しかし、この胃カメラというやつだけは、どうしても好きになれない。一年に一度しか受けないはずなのに、カレンダーのその日が近づくのを想像しただけで、本気で泣きたくなるほどの精神的、肉体的苦痛を伴う。
最初の数年間は鼻から入れるタイプを選択した。医師は「鼻からの方が楽ですよ」と優しく微笑んでいたが、あれは罠だ。僕はもともと鼻の粘膜が少し弱い。結果として、100発100中と言っていい確率で、鼻腔から鮮血が流れる大惨事となった。痛い上に血まみれになる。こんな苦行が毎年続くのかと絶望した僕は、5年目から口からの挿入に切り替えることにした。
ところが、これがさらなる地獄の始まりだった。
診察室で対面した口用のカメラは、鼻用よりも明らかに太く、まるで黒光りする太めのアナコンダのようだった。喉の奥にそれをねじ込まれ、強制的に嗚咽を繰り返す状態が約10分間続く。これまで若気の至りでハードリカー(テキーラやウォッカの原液)を飲みすぎ、トイレの便器とお友達になった経験は数知れない。その為、吐くこと自体にはある程度の耐性がある自負をしていたが、胃カメラのそれは次元が違った。自分の意思とは無関係に、生理的な涙がとめどなく溢れ出てくる。
ある年の検査中、涙目で硬直する僕に、看護師さんが「体の力抜いて大丈夫だよ〜」と優しく声をかけてくれた。だが、喉元に異物を突き立てられ、内臓をカメラが動き回っている状態で脱力できる人間がいたら、それは超人だろう。そんな人がいるのならぜひお目にかかりたい。緊張はピークに達し、全身の筋肉をこわばらせて耐えていたその瞬間、下腹部から信じられない裏切りが起きた。不可抗力に、おならが「バフッ」と、静まり返った検査室に鳴り響いたのだ。
こういう時に限って、その音は驚くほど威勢が良く、さらに天と地がひっくり返るほど臭い。看護師さんはプロフェッショナルなので完全にスルーしてくれたが、それがかえって僕の尊厳を削りとった。あの時は、検査台からそのまま床に溶けて消えてしまいたいと本気で願ったものである。

そんな恐怖の年中行事に、昨年、劇的な転機が訪れた。
知人から「鎮静剤」という魔法の選択肢を教えてもらったのだ。それを使った人間は誰もが「何が何だか分からないうちに終わった」「全く辛くなかった」と、まるで怪しいセミナーの勧誘員のようなテンションでその素晴らしさを語る。オプション料金としてそれなりの追加費用は発生するが、あの「涙とおならの地獄絵図」を回避できるのであれば、安い投資だ。僕は迷わず、鎮静剤の使用を希望した。
結果は、完全なる大勝利だった。
ベッドに横たわり、点滴のチューブから薬が入る。リラックスした次の瞬間には、看護師さんから「終わりましたよ」と声をかけられていた。本当に、眠っている間に全てが終了していたのだ。いつカメラが入り、いつ抜けたのかすら全く分からない。あの悶絶の10分間はどこへ消えたのか。科学の進歩に、これほど感謝した日はなかった。
さらに、この鎮静剤の真骨頂は検査の「後」にあった。
「終わった後も30分から1時間は座って休んでいってくださいね。今日は車の運転は絶対に駄目ですよ」
そう指示されて案内されたリカバリーブースの椅子に深く腰掛けた瞬間、極上の時間が始まった。頭の芯から全身にかけて、これまでに体験したことのないような、フワフワとした心地よさが波のように押し寄せてくる。

その多幸感たるや、凄まじいものがあった。もしこの瞬間に、誰かからどんな罵詈雑言を浴びせられたとしても、「まあ、いいじゃない。人間だもの」と笑顔で全てを許してしまえるような広大な精神状態である。私自身サウナ愛好家であり、俗にいう「ととのう」も相当に気持ちいいが、あの脳内にじんわりと広がる快感は、サウナのそれをも凌駕している可能性すらある。しかも、それが30分以上もノーリスクで持続するのだ。人類はとんでもない物を開発したなと思った。
すっかり胃カメラ恐怖症を克服した私は、今や、一年に一度のあの「フワフワタイム」を密かに楽しみにしている事に気がつく。
だが、冷静になればなるほど、医療目的の麻酔の余韻を「年に一度のご褒美」として心待ちにしている中年の姿は、いささか歪んでいると言わざるを得ない。結局のところ、そうやって少しずつ身体のあちこちにガタを抱え、薬の力に心地よさを見出しながら、地道に歳を重ねていくのだろう。来年の検査日も、僕は喜び勇んで追加料金を支払い、あの天国のような30分間のシートへと向かう予定だ。
【ご注意】 ※鎮静剤の効果や感じ方には個人差があります。本記事に記載の内容は、あくまで筆者個人の体験談および感想です。 ※本記事は鎮静剤を含む医薬品の使用や服用を推奨・勧誘するものではありません。