2016 Interview: MC RYU for InterFM TOKYO SCENE 2

Interview

本記事は、2016年にInterFMのラジオプログラム『TOKYO SCENE』のウェブサイト上に掲載されたインタビュー記事を、アーカイブとして再掲載したものです。掲載内容は公開当時のものであり、肩書きや活動内容などは現在と異なる場合があります。

こんにちは、DJ SHUNSUKEです。

ご好評頂きましたRYUさんへのインタビュー、続編になります。

今回はSOULTRAIN時代のお話から楽曲制作のお話、幅広い音楽を聴く耳を持つこととなったきっかけなどをお話してもらいました。引き続き保存版です。

SOUL TRAINのきっかけ

RYU:
『SOULTRAIN』が始まったきっかけは、J-WAVEが本国から権利を取ってきたことなんだよね。「RYU、やらないか?」って声をかけられたんだけど、最初は「『SOULTRAIN』の名前なんて勝手に使ったら怒られますよ? アメリカの本物ですよ?」って聞き返したのを覚えてる。

SHUNSUKE:
当時、アメリカの『SOULTRAIN』といえば大人気のテレビ番組でしたよね?

RYU:
そう、当時はテレビ番組!

SHUNSUKE:
その「ラジオ・バージョン」として日本に上陸したわけですね。

ドン・コーネリアスの憧れと「おまけ」の奇跡

RYU:
番組を立ち上げたドン・コーネリアス(※1)という人がいるんだけど、彼はもともとシカゴのラジオからキャリアをスタートした人だから、実はラジオをやりたかったんだよ。でも、結果的にテレビで大成功してしまった。当時のアメリカは, テレビよりもラジオの方が格上でね。ラジオは文化人がやるもの、テレビは芸能界のものという認識があって、みんなラジオをやりたがるけどなかなか枠が持てない。ギャラもラジオの方が全然良かったし、ドンはラジオへの憧れをずっと持っていたんだね。

そんな中、ある商社が「ドン・コーネリアス・ブランド」の洋服のラインを展開する権利を取った。ただ、洋服だけだとプロモーションとして弱いから、クラブとラジオも連動させようという話になったんだ。それで、お台場にオフィシャルの「SOULTRAIN CAFE」ができて、ラジオ番組も始まって、「SOULTRAIN委員会」なるものまで発足して、大々的に記者発表を行ったんだよね。

メインは洋服とクラブで、ラジオはいわば「おまけ」としてのスタートだった。ところが極端な話、クラブと洋服の事業がこけてしまって、ラジオだけが生き残った。本当はおまけのはずだったラジオが、結果的に一番長く残る形になったんだよ。

SHUNSUKE:
『SOULTRAIN』は7年間ほど放送されていましたよね? 僕らの世代はいまだに忘れられない番組です。

1400回を超える放送と、HIPHOP界への気配り

RYU:
そうだね、約7年間。あのメンバーで毎日放送していたから、通算で1400何十回くらいかな。本当に楽しかったよ。昼間に起きて「今日はリスナーのみんなと何話そうかな? どんな曲をかけようかな?」と考えたり、「今日のゲストはDEV LARGEか、K DUB SHINEか〜」となれば、事前に裏を取るために周りの関係者に電話して、「今日こんな話を振ろうと思うんだけど大丈夫かな?」ってリサーチしたりね。「その話は突っ込まない方がいいよ!」とか「RYUさん、そこはガンガンいっちゃってください!」とかアドバイスをもらいながら、日本のHIPHOP界には精一杯気を使ったつもりだよ(笑)。

SHUNSUKE:
僕はDJなので、駆け出しの頃はかなり『SOULTRAIN』を聴き込んでいました。当時はレコードの時代だったので、何がリアルタイムで流行っているのかをチェックする最高の情報源のひとつでしたし。番組の構成も面白くて、新譜のMIXをやったかと思えば、突然旧譜(クラシック)のMIXになったりして、それが本当に新鮮でした。電話でかかってくるリスナーからのリクエストも、いろんなタイプのブラックミュージックが網羅されていて、プロのDJを志していた自分にとってはものすごく刺激的でしたね。

「俺」の解禁と、破天荒な生電話リクエスト

RYU:
そう言ってもらえると嬉しいね。あの当時、俺が何を志していたかというと、既存のテレビやラジオの音楽番組に対してすごくフラストレーションを抱えていたんだよ。ある意味、HIPHOP自体がフラストレーションから生まれる音楽だしね。「今のメディアは面白くない、リアルじゃない」ってずっと思っていて。

実は番組の初日に、スタッフから「RYUさん、『わたし』とまでは言わなくてもいいので、第一人称は『僕』でお願いします。『俺』は絶対に無しで!」って言われていたんだ。「わかりました」って答えたんだけど、本番が始まったら緊張しちゃって、開口一番「YEAH!俺がRYUだぜ!」って言っちゃってさ(笑)。もう修正不可能だから、そのまま最後まで突っ走ることにしたんだよ。

さっき話に出てきた電話リクエストもそうで、最初はスタッフから「電話をつなぐ時は裏で全部セットするから、準備ができたら受話器を渡します」と言われていたのね。でも俺は「なんで? そんなの面白くないじゃん! 俺がスタジオで直接ピポピポダイヤルを押した方がリアルで面白いじゃん!」って提案したんだ。そしたら案の定「番号を間違えたら大変なことになる」と猛反対されて。「いや、お前らだって間違える可能性はあるだろ! もし間違えたら、俺が全国何十万人のリスナーに向けて全力で正しい謝り方をしてやるよ!」って押し切った。

まあ、実際5回くらい間違えたんだけどね(笑)。当時はまだ携帯じゃなくて家の固定電話の番号だったから、夜遅くてリスナーの子が寝ちゃっていて、お母さんが出ちゃうこともよくあったんだよ。「……はい、どちら様ですか……」って眠そうな声で出られて、「あ、すいません……」って気まずく曲に入ったりして(笑)。でも、そういうハプニングも含めて生放送の面白さなんじゃないかって思っていた。当時、J-WAVEにはそういう破天荒な発想はなかったけれど、「こいつならハンドリングできるだろう」と信頼してくれて、最終的には自由にやらせてくれたんだよね。

SHUNSUKE: 僕らの世代、今 30 代を超えている人間は、本当にこの番組を聴いていた人が多いです。同世代のDJや音楽好きと話すとみんな同じことを言いますし、本当に楽しかったし勉強になりました。

リスナーファーストの台本なし生放送

RYU:
最初はワンクール(3ヶ月)続けばいいやくらいの気持ちで始めたから、長く愛してくれた皆さんには本当に感謝しかないね。当時の俺は生意気だったからさ(笑)。後から聞いた話だと、J-WAVEの局員の半分くらいには嫌われていたらしいよ、何一つ言うことを聞かなかったから(笑)。だって俺は、常にリスナーファーストで考えていたから、「そんな型にはまったやり方じゃリスナーが面白くない」という基準で動いていたんだ。

一時期、構成作家さんを入れたこともあったけれど、結局お辞めいただいた。その作家さん自身はすごく良い人だったんだよ? でも、「決まりきった台本なんて必要ないのに、なんでここにいるの?」って思っちゃって。それからは毎回手ぶらでスタジオに入って、本番 5 分前にメールをパッと読んで、そのまま喋るスタイルにした。俺自身も番組がどう転ぶか分からないから、毎回新鮮でドキドキしながらやれていたんだよね。

決まっているのはゲストの枠だけ。そのゲストがこんな曲を持ってくるから、なんとなくこんな話をしようかな、というくらいの温度感。しかもディレクターが日替わりで毎日違っていたから、実はそれを合わせるのも結構大変だったりしたんだけどね。

SHUNSUKE:
今その裏話を伺うと衝撃的ですね。事前のカチッとした打ち合わせがほとんどなかったなんて。普通の番組と比べるのは失礼かもしれないですが(笑)、だからこそリスナーとして聴いていて、あの生々しい新鮮さがあったんだなと納得がいきました。

RYU:
普通の番組とは全然違ったと思うよ。当時、色んな人から『SOULTRAIN』を聴いて「自分もラジオをやりたくなった」と言われたけれど、「俺の番組は特殊すぎて参考にならないよ。同じことはなかなか真似できないと思うよ」って答えていた。でも、あの時代は本当に楽しかったね。

SHUNSUKE:
ラジオパーソナリティとして活躍される一方で、ラッパーとしての活動も精力的にされていましたよね。僕の記憶に鮮烈に残っているのが、『ビッグコッタ(SOUL TRAIN REMIX)(Featuring:RYU)』です。

RYU:
えっ、それ何だっけ!?

SHUNSUKE:
K DUB SHINEさんの……

K DUB SHINEとのレコーディングと、現場主義のこだわり

RYU:
あー! コッタ(K DUB SHINE)の曲か! ナツいね! コッタにその話をしたら絶対に喜ぶよ、今度伝えておくね。あれは楽曲ができた後に、コッタが勝手に「SOULTRAIN Remix」ってタイトルを付けたんだよ。「どんなリリック書こうか〜」なんて言いながら、スタジオでちゃちゃっと作ってさ。あのレコーディングの空気感は今でもよく覚えているな。

SHUNSUKE:
あの曲は本当に鮮明に覚えています。当時の僕からすると、RYUさんはメディアもラジオも楽曲も全方位で発信していて、「なるほど、こんなにマルチで凄い人がいるんだ」と憧れの存在でした。その後、僕は本格的にクラブの世界にどっぷり浸かるようになるのですが、一度、渋谷のHARLEMのパーティーでRYUさんをお見かけして、ご挨拶させていただいたことがあったんです。確か私が23、24歳の時だったと思います。

RYU:
HARLEMね! 実はまた今夜も行く予定だよ(笑)。

SHUNSUKE:
その時に「RYUさんはこうして夜の現場でもしっかりお仕事をされているんだな」と実感したんです。というのも、ラジオではよく「子供が大好き!」と仰っていたので、勝手なイメージで夜のクラブの仕事はあまりされないのかなと思い込んでいた部分があって。でも、やっぱり最前線の「現場」に立ち続けているんだなと痛感しました。

やっぱりキャリアを積む上でも, リアルな仕事を獲得する上でも、現場のカルチャーに身を置くことは避けられないと思うんです。僕が今こうしてコラム等の記事を書かせていただけているのも、週に何回も現場でDJとしてプレイしていて、そこから見えるリアルな視点が面白い評価されてお仕事をいただけていると思っています。先日、数年ぶりにBX CAFEでご挨拶させていただいた時も、「やっぱりRYUさんは今でも現場に来ているんだ!」と胸が熱くなりました。

RYU:
夜のMCもバリバリ現役でやってたからね(笑)。俺は寂しがり屋だから、なんとなく現場に足を運んじゃうんだよ。あとはやっぱり、自分の大好きな音楽を爆音で聴けるあの空間が最高だからね。

SHUNSUKE:
RYUさんが昔ロサンゼルスに住んでいた頃は、まだ大学生になる前ですよね? 年齢的にもクラブには行けなかったわけですか?

LAの夜、メタルの爆音とビリー・ジョエルとの出会い

RYU:
当時はクラブなんて無かったし、存在していたとしても情報が入ってこなかったな。アメリカは年齢制限を含めてクラブの規制がすごく厳しいから、お店側も簡単には入店させてくれないし、行こうとも思わなかった。その代わり、僕らが熱狂して通ったのは「ライブ(コンサート)」だよ。

ちょうどヘヴィメタルが全盛期だった頃でね、AC/DCやオジー・オズボーンのコンサートによく行ったんだ。AC/DCのライブなんて、信じられないくらい爆音だから、行った後は3日間くらい耳が聞こえにくくなって難聴状態になるんだよ(笑)。周りを見渡すと、怪しい大人たちが何かを吸っていたりしてさ(笑)。ロックのコンサートっていうのは、頭からドガーン!とド派手に始まって、最後のクライマックスでまたグアーン!と盛り上がって終わるような、それが様式美だった。

そんなある日、先輩から「おいRYU、ビリー・ジョエルのライブを観に行くぞ」って誘われたんだよ。当時の俺は「はあ? ビリー・ジョエル?(笑)」って感じで。メタルに比べたらあんなの退屈なポップスだろ、くらいに思っていたんだけど、その先輩から「RYUちゃんはメタルを聴きすぎだから、たまには本物の、ちゃんとした音楽を教えてあげるよ」って言われてね。しかも会場が、一週間前にAC/DCを観た「ザ・フォーラム(※2)」という巨大なアリーナだったんだ。

ザ・フォーラムの振動と、エンターテインメントの確信

RYU:
会場に入ってステージを見たら驚いた。メタルのコンサートって、最初は演出のために楽器を隠してあって、オープンと同時にドカーンと出すのが普通なんだけど、ビリー・ジョエルのステージはピアノもサックスも最初から全部露出しているんだよね。だけど、並んでいるアンプの数がAC/DCの倍近くあったんだ! 「なんなんだこれ!? あのおとなしい音楽のどこにこれが必要なんだ!?」って度肝を抜かれた(笑)。

それは『The Nylon Curtain』というアルバムのツアーで、当時『Allentown』という曲が流行っていたんだ。その曲は労働者階級、工場で働く人々をテーマにした曲で、工場の「ブーブー」という汽笛のSEから始まるのね。会場のライトが消えた瞬間に、その「ブーブー」という地響きのような重低音がザ・フォーラム全体を激しく振動させて、その音響だけで一発でノックアウトされた。一曲目からまるで稲妻に打たれたような衝撃だったよ。

さらにクライマックスの前には名曲『Honesty』が流れて、会場中の観客がライターの火を灯してピアノに合わせて大合唱するんだ。ビリーはライブの途中で「FUCK!」や「SHIT!」といったタフな言葉を連発するし、客席では誰かが何かを吸っているし、さらに前方の席にはあのエディ・ヴァン・ヘイレン(※3)のご両親まで観に来ていて、「そんなレジェンドの親まで来るのか!?」って驚きの連続だった。

ビリー・ジョエルって、生き様や言っていることがめちゃくちゃロックなんだよ。特に「LOSER(敗者)」の気持ちに寄り添って歌うから、「みんな負けんなよ、泥臭くたって大丈夫だから」というメッセージがダイレクトに伝わってきた。すっかり感化されて、その日の夜に家に帰って仲間に「おい! これからはビリー・ジョエルだぞ!」って興奮して話したら、「RYUはメタルを聴きすぎだから頭がおかしくなった」って大笑いされたよ(笑)。

そんな風に、俺の音楽の旅には色々なターニングポイントがあった。じゃあ、ビリー・ジョエル自身はどこからその音楽性を得ているかというと、突き詰めるとジェームス・ブラウン(JB)や、スライ&ザ・ファミリー・ストーンんだよね。ビリー自身もJBのステージングを大いにオマージュしているのを知って、俺の興味もそこ(ブラックミュージック)へ戻っていった。余裕を持った原体験があったからこそ、ジャンルに縛られずに音楽を広く深く聴けるようになったんだと思う。これは俺が中学校(Grade 6)の時の大切な思い出。

「世の中にはこんなにかっこいいエンターテイナーがいるんだ! 他のアーティストもきっと凄い世界を持っているんだろうな」って視野が一気に広がって、その瞬間に「自分の人生にはエンターテインメントしかない」と確信した。ただのコンサートの枠を超えて、人の心を激しく動かすことができるんだってことを、メタル以外の音楽から教わったんだよね。今でも鮮明に脳裏に刻まれているよ。

当時はライブが終わったら、当然父親と母親が車で迎えに来てくれなきゃ帰れなかった。当時のLAの夜、ステイプルズ・センター(※4)の周辺なんてめちゃくちゃ治安が悪くて怖かったからね。あの夜の景色と興奮は、今でも俺の中にずっと生き続けているよ。

続く

※1 ドン・コーネリアス(Don Cornelius):アメリカの伝説的音楽番組『SOULTRAIN』のホストでありクリエイター。

※2 ザ・フォーラム(The Forum):カリフォルニア州イングルウッドにある著名な屋内アリーナ。

※3 エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen):伝説的ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリスト。

※4 ステイプルズ・センター(Staples Center):ロサンゼルスにある大型アリーナ(現 crypto.comアリーナ)。

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