2015 Interview: DJ RINA for InterFM TOKYO SCENE
本記事は、2016年にInterFMのラジオプログラム『TOKYO SCENE』のウェブサイト上に掲載されたインタビュー記事を、アーカイブとして再掲載したものです。掲載内容は公開当時のものであり、肩書きや活動内容などは現在と異なる場合があります。
突然ですが2015年、

始まりは「好きな人に近づきたくて」
SHUNSUKE:
まずは原点について聞かせてください。DJを始めたきっかけは何だったんですか?
RINA:
実は、当時好きな人がいて、その人がクラブに通う人だったんです。それで私も行くようになったんですけど、たまたま遊びに行ったクラブで従兄弟がDJをやっていて。前から話には聞いていたものの、実際にプレイする姿を見たのはそれが初めてで、「カッコいい!」って衝撃を受けました。 「私も同じようにDJをしたら、大好きな彼に近づけるかな……」なんて期待も込めながら、従兄弟に「DJをやりたい!」って伝えたのがすべての始まりです。
SHUNSUKE:
へえ、それは意外なストーリーですね。
RINA:
そうですね、ここまで細かく「それがきっかけです」って公に話したことはないかもしれないです。「従兄弟がDJをやってたから」くらいにしか言ってこなかったので。今考えると私、本当に単純ですよね(笑)。 もともとは合唱の先生になりたくて、小・中・高と8年間合唱をガチでやっていたんです。でも、ドクターストップがかかって続けられなくなってしまって……。ポッカリ穴が空いた時期にクラブへ行くようになったものの、当時はどうすれば自分がクラブのブースに立てるのか分かりませんでした。そんな時、ものすごいタイミングで先輩のシンガーから「一緒に歌わない?」と声をかけてもらって。まずはクラブで歌いながらコネクションを作り、そこから徐々にDJとしての現場を増やしていきました。
SHUNSUKE:
なるほど。動機は「好きな人」だったかもしれないけれど、いざ飛び込んでみたら、音楽とDJの魅力にどんどんのめり込んでいったわけですね。
RINA:
もともとHIPHOPが好きだったというのもあります。ただ、当時の学生シーンって、本当に女の子のDJなんていなくて。だから最初は服装などの形から入った部分もありました。完全にBガール(笑)。髪の毛を編み込んで、マンハッタンレコードのショップ袋をレコードの折り目に沿ってきれいに持って、「私、DJやってますけど?」みたいな顔をして街を歩いていました。そういう尖っている自分自身も好きだったんでしょうね(笑)。
SHUNSUKE:
実際に、そこからどうやって最初の現場(クラブデビュー)を掴んだんですか?
RINA:
当時、地元の仙台のクラブで、同世代の人たちが200〜300人も集まるような昼のデイイベントを開いていたんです。そのクルーに混ぜてもらって、そこで回させてもらったのが私のDJデビューでした。

22歳、「二兎を追わず」掴み取ったプロへの道
SHUNSUKE:
学生時代からそうやってステップアップしていく中で、趣味ではなく「DJを本業にする、これで食べていく」と意識し始めたのはいつ頃だったんですか?
RINA:
「DJで食べていきたい」と強く思ったのは、実は高校生の時でした。当時は音楽にのめり込みすぎて、ぶっちゃけあんまり学校に行っていなくて(笑)。頭はブレイズ(編み込み)で学年一肌が真っ黒。「学校に行く」と言って家を出て、そのままレコード屋に直行して家に帰る、みたいな生活をしていました。 当然、卒業が危うくなったんですけど、先生との進路相談ではもう「私はDJでやっていくので!」と言い切っていましたね。母親からも「高校だけは出てくれ」と言われていたので、なんとか卒業はしました。
ただ、いくらプロを目指していても、卒業してすぐに飯が食えるわけじゃない。現実的には働かなきゃいけなくて、そこからアパレルの仕事を4〜5年続けました。DJは週末だけ、という生活です。 そのアパレルもすごく好きなブランドだったので全力で働いていたんですが、ある時マネージャーに「『DJ RINAが働いているブランド』として、お店にも貢献できるようになりたい」と相談したんです。そしたら、マネージャーから厳しい言葉をいただきました。 「うちのブランドは、片手間にできるほど甘い仕事じゃない。あなたの夢が同時に叶うかは分からないし、『二兎を追う者は一兎をも得ず』という言葉通り、どちらも中途半端になったら自分のためにならないんじゃないの?」と。 そこで必死に考えた結果、私は「DJ」を選びました。それが22歳くらいの時です。
SHUNSUKE:
「生活のための副業」として生半可に続けることを許さない環境だったんですね。ある意味、それだけお互いに熱量のある素晴らしいブランドだったということですね。
RINA:
そうなんです。だから未だに、私にとってそこが一番大好きなブランドです。東日本大震災が起きて復興イベントを立ち上げるとなった時、真っ先に私をDJとして呼んでくれたんですよ。それが本当に嬉しかった。「あの時退路を断って、ちゃんとDJとして歩んでこれたんだな」って、少し恩返しができたような気がしました。
SHUNSUKE:
厳しい言葉で送り出してくれた会社に、プロとして認められて恩返しができた。最高のストーリーですね!
RINA:
はい、本当に辞めてからも良い関係でいられて良かったと思っています。
「MIXCDの子」からの脱却、Red Bull Thre3Styleへの挑戦
SHUNSUKE:
僕は割とDJを現場でしてから「プロになりたい」って思ったタイプなんです、現場でDJする事の面白さが大きな衝撃になったというか。RINAちゃんにとって、そんな風に視界が開けたような衝撃的な経験はありますか?
RINA:
私にとっての衝撃は、ふらっと遊びに行った新木場agehaの『Red Bull Thre3Style』でした。BOXフロアを見ていた時に、DJ SHINTARO君がプレイしていたんです。彼が自分と同い年だと知った時、「世界と戦って、勝つ経験を知っている同世代がすぐ近くにいるんだ」って、ものすごい衝撃を受けました。それからは、毎年欠かさずThre3Styleを見に行くようになりましたね。
SHUNSUKE:
僕が初めてRINAちゃんのプレイを生で見たのも、ELE TOKYOで開催された『Red Bull Thre3Style』の現場だったと思います。「唯一の女性エントリーですごい子が挑戦してるな」って強く印象に残っています。 僕自身は現場主義で、そういった賞レースの大会にエントリーした経験がないんです。「女の子なのに」と言ったら語弊があるかもしれないけれど、なぜそこまで過酷な賞レースに挑戦しようと思ったのか、何か大きなきっかけがあったんですか?
RINA:
きっかけはたくさんありましたね(笑)。 長くなっちゃうんですけど、私は「DJとして絶対に1番になる」という単純で漠然とした目標を持って東京に出てきたんです。上京後、最初は事務所に所属して、まずは知名度を広げようということになりました。MIXCDを多くリリースしている会社だったので、1年で多い時は13枚くらいMIXCDを作って出していました。今振り返っても「よくやりきったな」と思います(笑)。 実際、リリースのおかげで地方の現場に呼んでもらえる機会が圧倒的に増えたので、それは本当にありがたかったし嬉しかったです。
でもその反面、心の中で「自分が本当に理想としているDJ像とは、ちょっと違うかもしれない」という葛藤が芽生え始めて。その違和感がだんだん無視できなくなってきたので、一度リセットして「とにかく新しい、いろんなことに挑戦しよう」と決めました。ちょうどそのタイミングで事務所との契約が満了したので、フリーランスになったんです。
ただ、フリーになって現場に行くと、プレイヤーの先輩や仲間たちから「ああ、あのMIXCDの子ね」って言われることが多くて。認知されている嬉しさはありつつも、「現場のプレイを見てもらえていない」という悔しさの方が何倍も大きかった。 だから私は「それだけじゃない、現場の叩き上げのDJなんだ」って意思表示をしたかったんです。性別なんて関係なく、純粋に「いちDJ」としてシーンに認められたかった。 その悔しさと、ずっと胸にあった「DJ SHINTARO君が世界一になった姿」への憧れ、そして「ここで結果を出せば、周りの私に対する見方を変えられるかもしれない」という覚悟。それらがすべて、あの時agehaで見た衝撃とリンクして、Thre3Styleへの挑戦に繋がりました。

女性DJとして生きること、そしてこれからの日本のクラブシーン
SHUNSUKE:
逆に、これまで活動してきて「女性DJでよかったな」って得をしたと思うことってありますか?
RINA:
……無いかもしれないです(笑)。私は未だに「男に生まれたかったな」って思うことの方が多いですよ(笑)。 やっぱり女性というだけで、昔からあることないこと、変な噂を流されたりすることもたくさんありました。でも、最近はもうそういう雑音は全く気にならなくなりましたね。言う人は何を言っても言うし、分かってくれる人はちゃんと現場のプレイを見て分かってくれる。誰かにフックアップしてもらうために、後ろ指指されるようなダサいやり方をしてきた覚えは一切ないので。
SHUNSUKE:
その手の悩みは、このシーンにいる以上、一生付きまとうテーマかもしれないですね。僕も通ってきた道だから分かります。でも、的外れな噂を流してディスってくるような人たちって、大抵数年後には現場に残っていなかったりする。だから、強く自分を持っていればいい。僕も自分がフックアップした若い子たちが何か言われていたとしても、「気にするな、前だけ向いて頑張れ」って背中を押すようにしています。結果を出せば誰も文句は言えなくなるから。
一気に話は変わるんですが、風営法が改正されて以降の「現在の日本のクラブシーン」について、現場の第一線にいるRINAちゃんはどう感じていますか?
RINA:
言葉を選ぶのがすごく難しいんですけど……。すべての場所がそうというわけではないですが、時々「クラブ側(経営・プロモート)」と「DJ側(現場・職人)」の間で、意識のマッチングがうまくいっていないな、と感じる瞬間があります。
例えば、少し前にテレビで「48時間で未経験から稼げるDJになる」みたいな番組があったじゃないですか。現場のDJたちからは批判の声も多く上がっていましたよね。 もちろん、ああいうメディアの企画をきっかけに有名になって、才能を開花させる人や集客できるようになる人もいると思います。ただ、メディア露出先行で有名になった子を、クラブ側が「お金(ビジネス)になるから」という理由で最優先して現場のブースにブッキングするようになると、長年現場を支えてきたDJとの間で優先順位の歪みが生まれてしまう。私自身も、地方の現場に呼ばれた際に、そういうビジネスライクな扱われ方をして悔しい思いをしたことがあります。
あとは、今でも現場に根強く残っている「ギャラを払うから、その分ノルマとして集客してくれ」という風潮。 でも、誰しも年齢やキャリアを重ねれば、個人の「お友達営業」的な集客ってどうしても落ちてくるじゃないですか。そのタイミングで、クラブ側が「メインタイムのDJ枠が欲しいなら、あなた個人でいくら売上を作れるの?」という話をしてきたりする。そして、音楽の本質的な部分や現場の叩き上げの経験を全くしていないけれど、「SNSで有名です」「集客だけはできます」という若い子が入ってくると、そこと入れ替えられてしまう……。この構造には、クラブDJとしてすごく矛盾や不安を感じます。
ただ、誤解してほしくないのは、その番組やDJスクール自体を否定するつもりは一切ないということです。むしろDJという存在が一般に認知されて、クラブ業界にお金が回るようになるのは素晴らしいこと。潤う部分が増えるのは業界全体にとってプラスです。 もちろん、ほとんどのクラブはそんな安易なことはしていません。ただ、中々難しい問題ではありますが、ブッキングやイベントの在り方として、集客数という数字だけでなく、「音楽のクオリティ」という本質的な部分で、お互いの意識がガチっとマッチングするシーンになっていけばいいなと願っています。
自分の経験を独り占めせず、次の世代へ繋ぐサポートを
SHUNSUKE:
激動のシーンの中で闘い続けているわけですが、これから先、「DJ RINA」として描いている明確な将来のビジョンはありますか?
RINA:
自分自身もキャリアを重ねて、年齢的な節目を意識するようになったこともあり、これからは「プレイヤーとしての自分」だけでなく、「人をサポートする側の役割」にも力を入れていきたいなと思っています。自分がこれまで苦労して歩んできた中で、「あの時、こんなサポートをしてくれる先輩がいたらよかったな」と思うことを、今の若い世代にしてあげたいんです。
現場にいると、若い女の子のDJから「今後どうやってキャリアを積んでいけばいいですか?」って相談されることがよくあります。今、目の前の現場を必死に頑張っている女の子たちはたくさんいる。じゃあ、その子たちが「次の一歩(ワンランク上のステップ)」に進むためにはどうすればいいのか。そのロードマップをサポートしてあげられる存在になりたいんです。 「私はこうなりたい!」という明確な意志や芯を持っている子には、私が培ってきたノウハウをすべて教えてあげたい。泥臭い経験をしてきた人間がそれを噛み砕いて伝えていかなければ、これからのクラブシーンは変わらないと思うんです。自分の経験を自分一人のものとして独り占めするのではなく、ちゃんと次の世代にバトンとして繋いでいきたい。
DJを始めるハードルが下がった今、これからもっと色んなスタイルの子たちが出てくると思います。だからこそ、クラブで真摯に頑張っている女の子たちが、クラブ側やイベンター側とも対等で健全な、良い関係を築いていけるような環境作りにも貢献してみたいです。
SHUNSUKE:
最高のビジョンですね。では最後に、今まさにDJを志している、あるいは上を目指して奮闘している女性プレイヤーたちに向けて、アドバイスやメッセージをお願いします。
RINA:
一番大切なのは、「自分がどうなりたいか」という明確な意志を持つことだと思います。例えば「2年後の自分はどうなっていたいか」というビジョンを、具体的にリアルに想像できるかどうか。
実は、偉そうなことを言っている私も、かつて「1番になりたい」という漠然とした夢だけを持って東京に来ました。でも、色んな経験をして、壁にぶつかりながら考え抜いた結果、未だに「DJとしての1番の定義」って何なのか、その答えは見つけられていません。挑戦を続けている限り、目指すべき「1番」の中身もどんどん進化していくので、自分の中で一生答えは出ないものなのかな、と今は思っています。
この世界は一般の会社ではないので、何年勤めたから係長、次からは部長、みたいに自動でステップアップできるわけじゃありません。だからこそ、自分で決める「将来のビジョン」が絶対に必要なんだと思います。 2年というスパンで逆算して考えるなら、最初の1年で何を仕込み、次の1年でどう形にするのか。それがすごく重要です。私は一つの基準として、今でも2年刻みで明確な目標を設定しています。
これから先、シーンに何が起こるかは誰にも分かりません。だけど、泥臭い現実を前にして、悩んだり、苦しんだりしても、それでもなお「前を向いてやっていくんだ」と自分の頭で考えられる子とは、私はぜひ一緒に面白いことを仕掛けていきたい。私にサポートできることがあれば、全力で引っ張り上げてあげたいと思っています。 これからもっと時代は動くし、女性DJのシーンも、もっとカッコよく変えられると信じています!