HP開設のいきさつ
人間、四十代も中盤に差し掛かると、脳みその機能低下と反比例するように「誰にも邪魔されない、自分の好きなものだけを偏屈に並べた店が欲しい」という謎の衝動に駆られるらしい。というわけで、生まれて初めて自分のホームページなどという、インターネットの片隅にひっそりと城を作った。
理由は実にみみっちい。 これまで20年以上、東京の夜の街でDJとして、たまに記憶と尊厳をなくすほど濃い時間を過ごしてきた。その過去の遺物や、別にどうっていう事もないくだらない話を一箇所にまとめておきたかったのだ。そして何より、ライターとしての足跡を「自分のアーカイブ」という、誰も見ないかもしれないが自分だけは満足する記録として、ちゃんと残しておきたかったからである。
実はここ最近、連載を持たせてもらっているヒップホップ系Webメディア『REPRESENT』のコラム欄で、音楽と全く関係のない「近所のスーパーのセルフレジで毎回エラーを起こし、店員に『またあの要注意人物が来た』という目で見守られる私」のような、日常の小言ばかりを書き散らしていることに、密かな罪悪感を覚えていた。
メディアの立派な看板を借りておきながら、最新のストリートトレンドではなく、中年のリアルな生活習慣病一歩手前の話を展開するのは、どうにも居心地が悪い。ラーメン屋の暖簾をくぐったら、大将がこだわり抜いた「自家製ピクルス」の話しかしてくれないようなものである。いや、ピクルス自体は美味いのかもしれないが、客は今すぐギトギトの脂と麺をすすりに来ているのだ。「お前のヘルシーな日常に用はない、早く麺を出せ」という読者の無言の圧力を、勝手にビンビンに感じていた。
そんなわけで、誰に気兼ねすることもなく、日常の些細な違和感を好きなだけ吐き出せる「合法的なチラシの裏」がどうしても必要になった。これからは、DJの告知や執筆の仕事はもちろん、日々のどうでもいい思考の断片を、できるだけ高頻度でここに放り込んでいくつもりだ。SNSという激流に流されて一瞬で虚無に消えてしまう前に、言葉をちゃんと留めておく場所として。
それに、文章というものは恐ろしく、その習慣がなくなり書かないでいると、驚くほど早く錆びつく。脳内に浮かんだ面白いアイデアも、その瞬間に言葉にしておかなければ、翌朝には「何か良いことを思いついた気がするが、何だったか思い出せない」というあの虚無感だけを残して消えてしまう。バットを振らなくなった中年メガネは、ただの動くクソメガネ、あるいはただの肉の塊である。
だから個人ホームページの開設は、私にとって、誰を招き入れるでもない「自分が居心地いいと思うギミックだけを詰め込んだ、少々偏屈な自分の城」のようなものかもしれない。実家の自分の部屋の天井に、誰にも理解されないこだわりのポスターを隙間なく貼り付けて悦に入っている、あの完全に自己満足な空間を思い浮かべてもらえばいい。
二十代の頃なら「俺を見ろ!」という自己主張エネルギーをぶちまけていただろうが、中年の悲哀が骨まで染み渡った今の目的はもっと静かだ。散らかり放題の脳内の具材を整理し、たまにできた一杯を、通りすがりの人が「へえ、こんな物好きな店もあるんだ」と靴も脱がずにサクッと覗いていける、ちょうどいい吹き溜まりを作りたいだけなのである。
これからこのホームページが、どんな色に染まっていくのかは私自身にもまだ分からない。ただ、ひとつだけ決めているのは、キラキラしたポジティブな自己啓発や、誰かを論破するための尖った正論は一切置かないということだ。SNSを開けば、誰かが何かに対して常にブチ切れているか、あるいは「今日も最高の仲間と最高のビジネスで世界をチェンジ!」といった、眩しすぎて網膜が焼け焦げそうな言葉が溢れている。そんな情報の濁流から一歩足を引き抜き、この場所では、ただ淡々と、日常のネジが少し緩んでいる部分、あるいは最初から設計ミスで噛み合っていない部分を観察していきたい。
社会の役には1ミリも立たないけれど、読んだ人が一瞬だけ「フッ」と鼻で笑って、少しだけ現世の生きづらさを忘れられるような、そんな無駄な小品を並べていければ本望だ。
いつでもふらりと立ち寄って、壁に貼られたとりとめのない落書きを眺めていってほしい。SNSでの更新通知を目印に、気が向いた時にでも。